人が右に行くなら、左を見よ

随分前の話ですが、監査法人で働いている時に上司から、「誰がやっても同じ結果になるようにやって」と言われたことがあります。
監査は一定の品質を確保しなければなりませんので、その上司の指示は正しいものでした。
ですが私は、「誰がやっても同じ結果なら誰か他の人がやればいい」と思いました。
供給<需要のポジションを目指す
価値とは希少価値のことですので、多くの人ができることができても価値はないと思います。
コンビニバイトの時給が安いのは、他にできる人が大勢いるからです。
他にできる人がたくさんいるならば依頼する側はできるだけ安く済ませたいのですから、若い人、給料の安い人に代替しようとするはずです。
これは有名人も同じです。
単に「かわいい」とか「おもしろい」では、すぐに他の人に代替されてしまいます。
さかなクンの代わりはいない
では、さかなクンの場合はどうでしょうか。
最初は「何じゃコイツ」と多くの人が思ったはずですが、今や大学教授であるだけでなく、明石のタコなど地元の海産物を売りたい人達から引っ張りだこです。
このさかなクンが数年後に誰か他の人に代替されるでしょうか。
おそらく、さかなクンが引退するまで誰にも代替されないでしょう。
魚類に対する圧倒的な知識だけでなく、イラストなどを使って楽しくわかりやすく伝えるという「スキルの組み合わせ」に当代一人の希少価値があります。
人が右なら自分は左に行けないかと考える
企業も個人も同じく、基礎的なところは他と同じレベルまでもっていった上で、その先は他がやっていないこと、人が少ない方向に進むことが重要だと思います。
例えば会計士が一通りの監査できる、税理士が一通りの確定申告できる、弁理士が一通りの特許申請できる、というだけで希少価値があるでしょうか。
同業者ができることは一通りできた上で、自分はこの業界に強い、この分野に強い、この国に強い、別分野のスキルがあるといった強みがなければ選ばれる理由がありません。
周りと同じことをしていれば安心はできますが、ほどほどにしておかないと自分の価値、つまり希少価値を自ら下げることになってしまいます。
変人とかアマノジャクということではなく、あくまでも合理的な判断として、皆が右に行くなら左、左に行くなら右に行くことが基本路線だと思います。